ワーカホリックの心理|仕事中毒という病気と完治までの道のり

先日、3回目の転職が決まりました!
日系中堅メーカーから大手メーカーの生産技術から研究まで、そして次は外資メーカー研究と…
こう見ると規模感や社風が全く異なる職場を転々としています。

これまで変わったのは職場環境だけではありません。
自分自身の『働き方』もずいぶん変わりました。

今回は私の”2社目”での話。
今回は、心と体を犠牲にして金とスキルを稼いでいた頃の思い出を振り返ってみます。

 

『僕を最強にしてください。』

 

あなたは医師にこう告げた”ワーカホリック”の心理をどう感じるでしょうか。

毎日終電でも幸せだった

”強迫的でコントロールできない仕事への衝動”

ワーカホリックはこう定義されることがあります。
仕事のストレスから鬱や適応障害になる人は多いですが、私の場合はその逆。
激務やタフなタスクによって、アドレナリンが出るかのように動いていました。

僕がブラック企業で経験した上司が部下を奴隷化するプロセス

こちらの記事ではブラック企業と書いていますが、それはあくまでも”一般的に”言えばの話。
私にとってはスキルもつき、給料も高い職場だったため、ブラック企業という認識はありませんでした。
ただ、毎日終電近くまで、上司からの”詰め”は毎日のように、繊細な人間はどんどんふるい落とされ…そんな日々が続いていました。
専門職というのもあり、毎日充実感を得ていたのも確かです。

しんどい。
キツい。
これも素直な感情ですが、当時の私は実績を出し、スキル習得に打ち込み、毎月の給与を見て笑い…
(嬉しい給与のほとんどは残業代と手当のおかげでしたが)

その時、私は間違いなく『幸せ』なワーカホリックでした。

体がギリギリになるのを感じつつも、激務、同僚のマウント、上司とのバトルも面白くて仕方なかったのです。

メンタルを崩した同期をケアしつつも、

『もうダメだろうな。まぁ、向いてないんだろうな。』

『弱いな。』

『俺とは違うな。』

『さようなら。』

そういうドライな感情が同居していました。

 

不眠症になり心療内科に駆け込む

そんな状態で半年が過ぎた頃、突然『不眠症』になりました。
夜中に帰ってきて少し勉強して、もう2時なのに全然眠くない。夜明け前にやっと眠ったと思ったら起床時間。
仕事中に眠気でパフォーマンスがどんどん落ちるようになりました。しかし夜になると眠れない…
コーヒーとエナジードリンクによるドーピングで体をごまかす日々が始まります。

『(これはヤバイ)』

『(仕事ができない)』

そう感じた僕は、初めて心療内科へ行くことにしました。

 

医師を悩ませるスーパーマン見習い

『激務のせいか生活習慣が崩れて困っています。』

『このままでは仕事ができないから5時間だけきっかり眠れる睡眠薬が欲しいです。』

『あるいは眠らなくてもなんとかなる薬が欲しいです。』

『日中にパフォーマンスを最大にしたいんです。』

『こんな弱い体だと困るんです。』

先生はとりあえず『落ち着け。』と言っていた気がします。
躁鬱(双極性障害)の診断をしたいように見えましたが、医師を困らせたのが、私に『気分の浮き沈み』がなかったこと。
なぜならメンタルが24時間ハイ☆な状態だったからです。

ネガティブな感情よりも”いいから薬出して俺を最強にしろ”くらいの感覚で病院に突撃した私。
ワーカホリック(仕事中毒)…ある意味病んでいたと言われればそうかもしれません。

『気分が沈むことは』
『毎日楽しいです。』

『仕事でツライことは』
『眠くてパフォーマンスを上げられないとき。』

『疲れは感じますか。』
『やや感じますが、栄養ドリンク飲むので良くわかりません。』

『人間関係に悩みはありますか』
『ないです。パワハラされたらやり返しますので。』

『希死念慮などは…』
『80までは生きたいです。』

『これからどうしたいですか』
『必要な時だけ眠れるか、眠らなくても良いくらい最強になりたいです。』

医師が深いため息で、

『……ウーン…!』

と悩む中、とりあえず、

『メンタルに不調を感じたらまたすぐきてください。』

と目的の軽い睡眠薬だけもらって帰ってきました。

 

多様な働き方に触れて価値観が変わる

睡眠薬はよく効きました。
軽めだったのがちょうど良く、寝付きだけ改善された感覚でした。
これでまた100%仕事できる。

完全体として職場に戻った私の価値観をひっくり返したのは大学のサークルのOB会でした。

『友人と話して価値観が変わった』というと安っぽいですが、激務のサラリーマンは会社以外の繋がりが極端に少なくなります。
当時の私は、会社での狭い常識や価値観に支配されていました。
ビジネス以外で社外の人と話すという刺激があまりにも不足していたのです。

OB会ではフリーエンジニアや研究者、博士など様々なキャリアを持つ人がいましたが、そこで言われたのが、

『いつまで今の働き方続けるの?』

という一言。

”いつまで”という言葉に何も返せませんでした。
当時の私は、目の前の仕事が100%だったため、キャリアパスも考えず毎日『パフォーマンス!』『実績!』『スキル!』と短絡的に考えていました。

5年、10年と今のまま続けるのか、それでどうなるのか、全く頭に浮かんできませんでした。
ユルそうに過ごしている同級生が持っているビジョンを、毎日一生懸命な自分は全く持っていない。

それに気づいた時が『転職しよ。』と糸が切れた瞬間でした。

 

転職してからの『後遺症』と完治まで

それからしばらくして、良いポジションでオファーがあった中堅メーカーに転職しました。
規模と待遇はやや下がりましたが、仕事は面白く、毎日ほぼ定時の日が続き、プライベートも充実しました。副業を始めたのもこの頃です。自分の視野が広がっていくのを感じました。

ただ、転職してから1年ほどワーカホリックの後遺症に悩まされます。

ブラック企業から転職してきた人のマネジメントが想像以上に難しかった件

この記事では私が彼を矯正する話を書いていますが、入社当時の私もよく似た症状でした。

  • 適度な負荷が物足りない
  • 仕事に協力的な人を不審がる
  • 生産的な作業をしないと不安になる
  • メールの返信が遅いとイライラする

Forbes誌でも定義されているワーカホリックの7要素(仕事制限による不安、仕事が頭から離れない)が抜けるまでしばらくかかりました。

私の場合は、ブログ運営や読書、投資、趣味(釣り、スノボー)、人付き合いなど、仕事から離れた時間を埋めるものが見つかったのが幸運だったかもしれません。
上の記事の彼は労働環境が改善されたにも関わらず『仕事していない時何をすれば良いのかわからない』という状況から、”後遺症”を抜けるのにかなりの時間を要しました。

 

おわりに

ワーカホリックを抜け出せたポイントは、

  • 長期視点でキャリアを見つめる
  • 自分の居場所、やるべきことを複数考える
  • いつでも他の価値観に触れられる環境を作る

を意識したことでしょうか。
違和感を感じる場所にずっと留まっていると、いつの間にか洗脳されてしまいます。
当時のキャリアが今も役に立っていることは確かですが、壊れる前に、洗脳されきる前にキャリアチェンジできて良かったですね。

次のキャリアでどうなるか…それもまた楽しみですね。それでは。