『彼女、辞めるんじゃなかったんですか?』
私の質問に、普段は業務に追われ、尖った表情をしていることが多い事務員の女性がにこやかに答えた。
『もう1回頑張るんだってさ』
『そうなんですか…』
私の職場には毎年数人の新人が入社する。
大卒、大学院卒で”幹部候補生”として入社する新人もいれば、バイトの経験も無く、あどけない表情で入社してくる高卒の新人もいる。
彼らの仕事は工場での製造業務であることが多い。
規模も小さく、お世辞にも業績が優れているとは言えない私の会社は、彼らを非正規雇用の立場で採用する。
『定着率が悪い』というのも理由の1つだ。
他の工場では『新人が3日で辞めた』『初勤務から連絡が取れなくなった』なんて話も聞く。
当社の就業環境が良いか悪いかはわからない。田舎の会社ということもあり、給料は低い(県内では高い方だが…)。
ただ、どこぞのブラック企業と違い、残業代は出るし、そもそも拘束時間も長くない。仕事の面白さは人それぞれだが。
工場の人間は『人が辞める』ことに対して、ドライな雰囲気がある。
誰かが辞めることに対して、説得はするものの強く引き止めることもなければ、大きな話題になることも少ない。
ここでは『新人が辞める』ということは、定期的な現象であって珍しいことではないのだ。
対して正規雇用の面々、特に上層部は違う意識を抱いているようだ。
『何かマネジメントに問題があったのか』
『定着率の改善に向けての対策は』
『理想と入社後のギャップを無くすために』
非常に理にかなう議論を繰り返すが、彼らに対して、私もまたドライな感情を抱く。
まだまだ未熟な部分が目立つ彼らは、そもそも働くことを重要視しておらず、嫌なことがなくとも『面倒臭い』等の理由で音信不通になることもあるのだ。
採用の精度を上げない限り、このような議論は無駄に終わるだろう。
だが、彼女は戻って来た。
『他にやりたいことがあるので辞めます。』
先日そう言ったはずの彼女の姿があった。
おそらく、親にでも叱られて戻って来たのだろう。
上司に怒られることがあれば、また辞めると言い出すのではないか。
しばらく様子見か。
『辞めるって言った本当の理由、みんなに迷惑かけるからって思ってたからなんだって。』
『みんながテキパキ仕事をして、迷惑だからいない方が良いって泣いてたみたいよ。』
事務員の女性が僕の意識を遮るように話しかけてきた。
この言葉を聞いた瞬間、私の感情に動きはなかった。
しかし、少しの間を置き、思い出したかのように動揺し始めたことに気づいた。
彼女が退職を申し出た背景、10代で初めて社会に出た人間が当たり前のように抱く感情を、私は想定していなかったのである。
おそらく、数年前の私であれば思いついたであろう意識が消えていた。
そうか、普通であればそう考えるのか。
何かを思い出した気がした。
私は少し無関心になり過ぎたのかもしれない。
闘争心と無関心で戦っていた
私は以前、そのジャンルではトップクラスの大手食品メーカーで働いていた。
年功序列が残ってはいるものの、この手の日系メーカーには珍しく、成果主義に偏り、全員が実績を追い求め、厳しく働いていた。
ホワイト職種と言われることもある研究職等の技術系職種でも同様である。
私の部署では半期に1回、評価面談があった。
評価面談では暗黙の了解で、評価が高い順に個室に呼ばれ、面談が行われていた。
営業職のようにノルマを公開されることはないが、実績や成果において、自分の序列が理解できるようになっていた。
部署の人数は15人ほど。
入社直後は10番手で呼ばれたが、私は幸いなことに以降の評価面談では半分より上の序列で呼ばれることができた。
私より後に入社した人間が私より呼ばれた時、危機感や苛立ち、そして闘争心が湧いてきた。反面、OJTで教育してくれた先輩が、自分より後に呼ばれた時は居たたまれない気持ちになった。
研究活動はチームで進めており、1つのテーマについてリーダーが決められ、仕事の質と量に応じ、数人のサブメンバーが決まる。
実績を出すために全員が全力で仕事に打ち込む。
フレーズだけ見れば聞こえは良いが、現実は『使える・使えない』のみで判断され、マウンティングと皮肉が笑顔によってマスキングされた人間関係でプロジェクトが動いていた。
決して私も例外ではない。
『次のプロジェクトでは彼を外してもらって良いですか。』
『私のやり方が気に食わないなら、潰しにきて良いですよ。』
『別に私も人の潰し方知らないわけじゃないですよ。』
人当たり、面倒見が良く、朗らかだったはずの大学時代の私は消えていた。
少なくとも、自分が生き残るので精一杯だった。
私は『序列』が近かった人間達と心からの笑顔で接したことは無い。
このような職場は当たり前のように人が入れ替わる。
退職者も多く、メンタルを崩し、休職、異動する人間もいた。
OJTで指導してくれた先輩は、悲しくなるほど優しい人間だった。
この職場にいる人間ではないと思っていた。
結局彼はメンタルを崩し、別の会社へ転職していった。
私のメンタルも限界に近かった反面、むしろこのような人間関係を楽しんでいた部分もあった。転職理由は仕事内容と体力面、健康面が大きい。
『長くはいれない』という危機感はあったが、当時は経験として消化する覚悟をしていた。
『思いやり』や他人への関心に心の一部を割くほどの余裕はなく、全てを自分に捧げていた。
同じチームで呼吸を合わせて仕事ができている彼も、いつ敵になるかわからない。
どんな手を使っても全員倒してやる。
自分を含め、辞めたくなったら勝手に辞めれば良い。
そう思っていた。
解放されない意識
幸いなことに、今の私は希望に近い仕事ができている。
いずれの会社もカラーが違いすぎて基準がわからないが、労働環境も悪くない。
人間関係も。
ここでは他者に向けた『闘争心』は必要ない。
いかに自己を高めるか、実績を上げるか、自分に対する闘争心はあるが、争いよりも協働に近い職場である。
私自身もだいぶ丸くなった。
というより、昔の性格に戻った感覚である。
だが、ふと攻撃的になる瞬間がある。
上司や同僚に軽く皮肉を言われた時、冗談で煽られた時、意見が対立した時、
『(上等だよ。かかってこいよ。)』
『(お前の浅い考え丸ごと否定してやるよ)』
こんな考えが一瞬頭をよぎり、戦闘態勢に入ることがある。
前と違うのは、頭をよぎった後、消えていくことだろうか。
ここでは必要のないことなのだ。
ただ、人が辞めることに対する無関心さ、鈍感さという意識はしぶとく残っているようだ。
ーみんながテキパキ仕事をして、迷惑だからいない方が良いって泣いてたー
こういった繊細な心の機微から、私は少し遠ざかりすぎたかもしれない。
転職をすることによって、会社を辞めたり、何か変化を起こすことに対して足を踏み出しやすくなるという話がある。
言わばそれが当たり前のことであって、いちいち退職する人間の心の機微を感じようとしていなかった。
ましてや前の会社ではそのような繊細な心情は身を滅ぼすだけであった。
しかし、私が最初の会社を辞めた時のように、退職することに対して真剣に悩み、会社への不満、自身への不満、怒り、挑戦、向上心、期待、様々な感情が存在しうることを忘れていた。
彼女の言葉が嘘か本気かは知らない。
彼女の本心について、正直まだ半信半疑だ。
冷たさが見え隠れする私の性格は、おそらく今後も変わらないだろう。
しかし、ここ数年で最も私の感情を動かしたのは、多くの権力者の罵倒、叱責、賞賛、同調よりも彼女の持つ繊細さかもしれない。
みるおか