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『大卒じゃないと出世できないんですか?』と言われた日

コラム
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『前の工場長も高卒で入った人だし、実績を残せば上がれると思うよ。』

 

 咄嗟に出た言葉はあまりにも表面的で、響かない言葉だった。

 

『でも、先輩がそう言ってました。』

 

その返答に、私は言葉を濁すしかなかった。

 

 

当時、私はある大手消費財メーカーの研究開発職として働いており、担当商品が絡む新しい生産ラインの立ち上げに翻弄されていた。
普段は研究所に籠りきりだが、この時ばかりは工場から経理部、営業部まで毎日違う場所に顔を出し、新商品を形にするためにあらゆる手を尽くしていた。
製造現場で働く強面のスタッフに、『現場』を教えてもらいながら進める仕事は新鮮で充実していた。
『工場に足を運ぶ』研究員は珍しいらしく、現場のトップにも気に入られていたようだ。仕事帰りに工場のスタッフたちに誘われ、高そうな店でごちそうになったこともある。

 

自分は好かれている。

 

そう感じていた。

 

しかし、現場の高卒新人から突然投げられた質問で、その確信は打ち砕かれた。

学歴と実績と格差

私は大学院を出て、新卒でこの会社に入社した。
数年で転職したため、結果としてこの会社の”階段”は自ら降りることになった。
そのまま働いていれば、ある程度の地位は得ていたのだろうか。

 

このような話をすると、

『そもそも出世することが幸せなのか』

『年功序列は崩れつつある』

『この時代に会社の将来性、安定性を期待すること自体が危険ではないか』

といった話に収束しがちだが、少なくとも当時の彼は、その”階段”を求めていた。

 

典型的な日本の企業…ではあったものの、実績は昇級に直結し、”30歳で給料が全員フラット”という訳ではなかった。実際に若くして要職に就いていた人間もいた。
管理職は大卒、大学院卒が多いものの、高卒入社で実績を残し、生産部門の管理職になった前例も少なくなかった。

 

しかし、この『実績』という評価軸は必ずしも公正ではない。

 

当時の評価基準は『金』だった。
営業部門や開発部門は売上金額、 生産部門は工程改善によるコストダウン額の大小が個々の評価に直結していた。

この評価基準では個人の能力も重要だが、高卒の彼らに最も欠けていたのは『機会』だった。

営業や開発の場合、ある程度自分で仕事をコントロールできる。
既存顧客を中心に小金を積み重ねる。新規開拓により大金を狙う。個々の性格は戦術に表れた。

しかし、生産部門ではルーティンワークが中心となり、新しい製造ラインの立ち上げなどが無ければ、日々の仕事に変化は少ない。

 

その製造ラインの立ち上げの実績は、開発責任者である私と、生産責任者の2人で分けられた。

現場のスタッフの評価シートに”製造立ち上げ”の文字は存在しない。

 

実力主義と言っても、工場の大卒社員と高卒社員に同じ仕事が振り分けられるわけではない。
工場研修を終えた後、大卒社員は生産管理や工程改善といったマネジメント中心の仕事にシフトしていく。対して、高卒社員は現場でのルーティンワークが中心となる。

どちらが大きなコストメリットをアピールできるかは明白だ。

仮に高卒社員が現場作業をしっかりとこなしていけば、徐々に管理業務も任されるようになる。
しかし、彼らが”大卒のスタート地点”に立つ頃、大卒社員は役職を得て、給与格差はさらに広がっている。

 

高卒の彼らが”出世”するためのハードルは、少なくとも”大学院卒”で入社した私よりもはるかに高い。
例え大卒と同等以上のポテンシャルがあったとしても、評価を得るには機会が必要で、機会を得るには運が必要だ。
そのハードルは『努力』ではどうにもできない要素が多すぎる。
日々の取り組みが安定して報われ続ける人間を横目に、彼らの努力は確率に翻弄され続けるのだ。

 

地元で就職したい。
高校を出てすぐに働きたかった。
力仕事の方が好きだ。

 

高卒社員の入社理由はこんなところだ。
高校に送られた求人を教師に紹介され、1回の面接を経て入社する。
大卒のようにクローン人間たちが何十社も受ける光景は見られない。

彼らの中に”出世欲”がある人間は少ない。

最初から出世に興味が無い人間もいれば、高卒入社の現実を知って諦めた人間もいる。

 

『大卒じゃないと出世できないんですか?』

 

10代の大人しい少年が、工場の人間ではなく、”大卒”の私に向けた言葉の裏にはどんな感情があったのだろうか。

 

『高学歴』の肩書き

私自身は特に出世欲が強くないし、今さら『日系企業での出世』について話をするつもりもない。

 

ただ、

 

『前の工場長も高卒で入った人だし、実績を残せば上がれると思うよ。』

 

という私の言葉に全く説得力は無かった。
私は大卒だったからだ。 

彼が途方もない時間を費やし、運も手にして初めて辿り着く場所。
私はその場所へほぼ自動的に辿り着ける立場にいた。

 

努力は運をつかむための入場券のようなものだ。努力なしに結果は手に入らない。だが努力する力すら奪われている人を罵倒しても何も生まれない。彼らを責めても、かつての自分を傷つけるだけだ。 

もしあなたが、自分の運命は努力で変えられると思うなら、その感覚は生存者バイアスの始まりである。自分の人生はある程度変えられる。けれど結果にはいつも、周囲の人や運が必要で、それを持っていない人もたくさんいるのだ。 

出典:社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる - トイアンナのぐだぐだ

 

大卒の重要性は「大卒が重要になる環境」に置かれなければ理解が難しい。

出典:高卒でも人生困らない自分に大卒の重要性を理解できない理由がわかった - ポジ熊の人生記

 

とっさに出た、”実績を残せば”という言葉は残酷だったかもしれない。

”努力すれば必ず”などと綺麗事は言いたく無かったし、かといって可能性を否定したくもなかった。実際に可能性はあるのだから。
だから私は、”前の工場長”という前例を出し、”実績を残せば”という条件を加えた。客観的に事実のみを告げたつもりだった。

 

しかしこの言葉は、高卒で、実績を残して、上に行った、かつて”大人しい少年”だった人間から伝えるべきだったのだろう。
大卒で常に機会が与えられる人間の言葉は『嫌味』に過ぎないのだ。

 

自己投影できない人間の言葉は時に残酷である

何か目標を定める時、ロールモデルを設定することがあるだろう。

ロールモデルにはある程度『自己投影』できる場所にいる人間を選ぶべきだ。その場所までの距離は、心が折れなければ人それぞれで良い。

 

 

しかし、残念ながら、この『自己投影できる距離』を誤魔化すような情報が散乱している。 

 

一流企業を寿退社し、高年収の夫を持ち、いつでも復帰できるスキルを持つ『普通の主婦』の『簡単に実践できるライフハック』は、一般的な『普通の主婦』を追い詰める。

専門職として働き、自動的にアウトプットが溢れてくるような人間が『ブログで簡単に稼げた方法』や『バカでも10分でわかる知識』を公開し、能力と立場と環境に恵まれたサラリーマンは過労死ラインの長時間勤務すら礼賛する。

専門性の欠如を行動力でカバーしてきた人間は『誰でもできる』を振り回し、ポジティブという武器で弱者を殴り続けている。

 

彼らは自分という基準が当てはまる範囲を勘違いしているか、相手を勘違いさせて利用し、弄んでいるだけだ。

 

誰だって誰かにとっては天才であり、誰かにとっては愚か者である。

 

天才のアドバイスはいつだって残酷だ。

 

自分は天才になっていないだろうか?

人間が影響を与えられる範囲は、思っているよりずっと小さい。